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四十路・独女、27年間アウェイだった大分県臼杵市へUターン移住する

更新日:2018年10月18日


便利で何でもある首都圏が大好きな筆者が、大分県臼杵市にUターン移住することに。 地方移住を目指す人が「そこそこに生活できてる首都圏での暮らし」を捨てる理由はいろいろありますが、筆者のそのワケからこのブログを始めたいと思います。

大分県臼杵市。九州の東海岸に位置する人口37,000人の小さな市。ここが私の故郷です。

「故郷はいつも愛すべきところ」

と想う人が多いと思いますが、1992年に市内にある臼杵高校を卒業して愛媛県への大学進学の為に故郷を出ることになった私の心境は「これでこのド田舎から脱出できる・・」という想いでいっぱいでした。当時、私はジャーナリストか海外に関連する仕事に就きたかったのですが、当然臼杵ではそんな仕事360度見渡してもありません。臼杵脱出は当然の方向性でした。 大学在学中にイギリスに留学し、卒業後は関東で就職。それから関東を中心とした国内外を行ったり来たりするサラリーマン生活に突入しました。


仕事はダイナミックでした。今でいうブラック企業の端くれみたいなところに勤めていましたが、任された仕事はどれもやりがいがあり、海外に定期的に出向いたり長期では2年間赴任したことも。自分の冴えない能力でもド根性でやれることは結構あるんだな(←やはり思考は昭和48年生まれ)と激しい生活に埋没。楽しいことも、今に続く貴重な友人との出会いもたくさんありました。


でも10年近く体力的にも精神的にも限界にチャレンジするような生活を続けると、単純に「落ち着きたいな」という気持ちになるのも然り。そして時間も仕事も自分でコントロールしたい、と思うようになり35歳で脱サラ。これまでの10年間自営業でのらりくらりと埼玉で生活してきました。


私の実家は両親が臼杵市で47年前に創業した洋食屋です。

数年前に弟が継いだものの、父Y雄も週の半分は手伝いに出ています。

毎年末はオードブルの注文があるので、私も帰省して手伝いをします。


昨年末の大晦日、突然弟が「みんなで写真を撮ろう。」と言い出しました。72歳のY雄もいつ仕事をできなくなるか分からないし、長年勤めている従業員のYちゃんも年を重ねました。とにかく「臼杵市の状態=我が家」で、皆ドンドン老いていってます。なので今日のメンバーを写真に収めておこうと。

「関東で私がやりたいことはもうやったかもしれない。」

その時突然思いました。このまま遠くに暮らして、父Y雄や母K子が倒れて寝たきりになったら多分私は後悔するだろう。「宮島に行ってみたいなあ」と言っていたY雄が元気なうちになぜ一緒に宮島に行ってあげなかったのだろう。この残り限られた貴重な時間をなぜ家族と一緒に過ごさなかったのだろう、と。 とにかく後悔が大嫌いな私はその時ハッキリ決断しました。「臼杵に帰ろう。」


それから早10カ月、移住ブログを始めることに。新天地での仕事と生活の構想の為、毎日やることがいっぱいでサラリーマン時代から緩みまくった脳みそをギュンギュン絞って吐き気のする日々です。


地元とはいえ、27年間もアウェイ。盆正月に帰っても、実家から半径200メートル以内しか動かない休日だったのでもう道すらも分らなくなった臼杵市。ペーパードライバーだったのに、運転どうする!?ゴキブリ嫌いでマンション生活だったのに、臼杵では一軒家を賃貸。害虫どうする!?生活、仕事どうする!?どうする!?どうする!?


皆さま、こんな四十路・独女の田舎暮らし日記を今後ともよろしくお願いいたします。


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