変わりゆく臼杵の道


江戸時代からの城下町が今なお残る臼杵市。いろいろな町に住んだ後でUターンしてみると、魅惑的な曲線を描く二王座界隈の道や、今となっては何だったのかよく分からない古い壁、廃墟とレトロの狭間を彷徨う建物など、魅力的な「古い物」が町じゅうに溢れています。とはいうものの、町自体が全く変わっていないのではなく、私の子供時代と比べても結構変化は見られます。


今回は、古地図から辿る八町界隈の道と、臼杵市民の方に今一度記憶にとどめていただきたい、この4~50年で変わった臼杵市街地の道をご紹介したいと思います。


江戸時代には無かった道

今は城址となってしまった臼杵城を築いたのが、キリシタン大名の大友宗麟。本当は大友義鎮(よししげ)という名前でしたが、出家し得た法号が「宗麟」でした。その後、1577年にキリスト教の洗礼を受け、その洗礼名が「ドン・フランシスコ」でした。

ちなみに、ネットで「ドン・フランシスコ」と検索して出てくるのは、大分のお土産菓子を量産している「菊家」のお菓子「ドン・フランシスコ」。もちろん、宗麟の洗礼名からネーミングしているお菓子で、お茶うけにピッタリです。


話は逸れましたが、1562年に宗麟によって築城された丹生島城(後の臼杵城)。江戸時代に入っても臼杵城は海に囲まれ、難攻不落の「海上の要塞」でした。それは臼杵城址に掲示されている地図でも確認できます↓

水色部分が海や川だった場所

つまり、町なかからJR臼杵駅へ向かうときに通る港町や、フェリー乗り場から警察署の前を一直線に突き抜ける道は無かったものなのです。しかし埋め立てが行われたのもそう遠い話でもありません。以前のブログでも触れましたが、私のお店に来られる70代のお客さんの中には、市役所は辻にあり(現在の大分銀行所在地)、今の市役所は海だったという記憶が刻まれている方も多数います。


さらに臼杵市が製作したこちらのパンフで江戸時代の八町界隈と現在を比べてみましょう

1628年~1660年の古地図と現在の航空写真で町割りが比較できる秀逸マップ

①の左斜め下に今は無き堀川(昭和39年ごろに埋め立てられた)を見ることができます。

①は現在の臼杵市観光交流プラザ

「堀ハバ拾五間」の「間」という文字のあたりから「舟入」という文字に向かって撮影した写真がコチラ↓

この横幅27メートル近くが堀川だった

左の道は江戸時代には存在していませんでした。確かに写真左の見切れている建物のあるエリアからこの縦に伸びる道に出るとき、少し下り坂になっているのです。昔の堀川に降りていく土手だったのだと思われます。


さらに、浜町から本町に抜けるこの道も江戸時代の地図には見当たりません。

マ・ベル美容室から本町のカニ醤油に続く道には町屋が連なっていたようだ

悲しいかな。私の実家前の道も江戸時代には無し↓

この道にもキッチリ細長い町屋が存在していた

おそらく利便性を追求した結果、このように江戸時代には無かったものの今は存在している道が相当数あります。


江戸時代には在った道

逆に江戸時代にはあって、今は無い道というのも一つ見てみましょう。

⑪の右下に「光蓮寺」というお寺が見えます。前述のマ・ベル美容室の手前にある「十五万国ラーメン」の看板が見える一帯です。光蓮寺に沿った道は今でも在るのですが、そこから「横町八十三間」という通りに伸びる細い道が今は無いのです。

とにかく町屋がビッシリ連なる八町界隈。商売が盛んだったことがうかがえる

この道が現在横町にある「浪速軒」さんの向かいあたりに出てきていたのだと思います。

「まさかこんなところに道が・・」臼杵の町は驚きでいっぱい

昭和20年の地図に残る路地裏は今!

以前のブログでも触れたことのある、昭和20年の地図。臼杵市観光交流プラザにあるコピーを撮影し、暇があるときに眺めては楽しんでいます。

特に路地裏には興味を惹かれ、今回は新町と本町を繋ぐ路地裏(赤い印の2本)についてチェックしてきました。

まず左側の通り。実はこの通り、私が子供の時には存在しており、2階建てのマルショク(スーパー)の裏口に面していました。飲み屋から始まる新町から、「文泉堂」という文房具屋さんのある本町に繋がっていましたが、現在は駐車場になっており、当時の半分以下の長さしかありません↓

子供時代、新町側の入り口はほぼ飲み屋さんだった

一方、右側の路地裏は私の記憶には無く、今回周辺をうろついてみるとそれらしい場所を発見↓

目星をつけた本町側。かつての路地裏を彷彿とさせる幅感にピンとくる

この右隣の建物はお寿司屋さんなので、思い切って尋ねてみることに。

店主の男性に確認すると、ここでお店を始めた昭和52年当時にはまだ路地裏が存在していたそうです。しかし今はこの道の先に民家があり、新町とは繋がっていません。

路地裏といってもここは私道なので、今では勝手にウロチョロするわけにはいきません。当時は裏長屋があったそうなので、そこに住む人たちだけが利用していた路地だったのでしょう。


昔臼杵にはたくさんの裏長屋が存在していました。表向きはお店で、狭い通路を奥に進むと賃貸して住んでいる人がいる建物があり、それを裏長屋と呼びました。私の子供時代(昭和50年代)にもまだまだそういった場所がたくさんあったのですが、それぞれの世帯の子供同士が一緒に遊んだりして楽しかったものです。


プライベート空間に慣れすぎてしまった私にはもう長屋生活は楽しめませんが、古地図を持って昭和のノスタルジーに浸る時間は楽しめます。


臼杵市へ移住してくる方は臼杵の古地図を楽しむことはできないかもしれませんが、数十年後、「令和のノスタルジー」を楽しめるように、今の臼杵市をお散歩してその風景を記憶に焼き付けておいてはいかがでしょうか。