ここ最近のブログは祭りと酒の話ばっかりなので遊んでばかりいる印象ですが、祇園祭の1週間は通常の仕事と祭りの撮影関係の仕事の両立でヘトヘトになりました。
3連休をいただき元気を取り戻した今、長いコロナの制限期間を経て戻ってきた臼杵の夏の風物詩を回顧!
今回は先週行われた「臼杵祇園祭」を移住者目線で解説。臼杵市外から移住してくる方が、移住した途端祇園祭を楽しめるよう、今年の写真付きで詳しくレポートいたします!
臼杵祇園祭の構成と歴史
中津や日田と並ぶ、大分県三大祇園祭の一つ「臼杵祇園祭」は400年近くの歴史を持つ伝統の夏祭りで、神社、町衆、武家と3者合同のお祭りとも言えます。
基本的には1642年に当時の稲葉家4代藩主・良通が、現在の北海添にある御旅所(市民は祇園馬場=「ぎょんばば」と呼ぶ)に行宮を建て御神幸を行ったのが起源です。その際、第一御輿と稲葉家の武勲でもある毛槍50本を寄進。1647年に同じく良通が第二御輿、1675年に5代藩主・景通が第三御輿を寄進し、臼杵八坂神社のそれぞれの神様をお祀りし御神幸の要となっています。
現在、第一御輿は市役所職員(市長ももちろん参加!)、第二御輿は漁業関連の方々(法被がサカナ柄で可愛い)、第三御輿は保存会を中心に土建業の方々が参加しているようです。
6代藩主・友通の頃、1697年に城下八町の町人で構成する山車が登場。現在では町屋地区の八つの町が4年に1回当番町となり巡行します。今年は横町と唐人町でこの二町の組み合わせは変わりません。
私の印象では現在の山車行事は神幸や還幸の「盛り上げ隊」のイメージですが、昔も御旅所の行宮前で山車を舞台に芝居を奉納したそうですから、300年以上前からそのような位置づけだったのではないかなぁと思っています。
ちなみに、現在でも臼杵祇園祭の山車のことを「踊山」と呼ぶのは江戸時代の芝居奉納が起源になっています。
また、前述した毛槍50本の練り歩きも、今はない「ナンバ歩き」という手と足が一緒に出る歩き方で行われています。そうとう珍しい歩き方で、これをお祭りで見せるのは全国でも数か所しかないということなので、見る価値大です。
そして、私が一番「臼杵らしいキャラ」と感じているのが瓢箪冠(ひょうたんかぶり)。八坂神社のホームページには以下のような記載があります;
「御神幸の露払として、寛文八年(1668)に初めて登場致しました。市内諏訪の日高家の先祖が、祭り当日飛入りで、瓢箪をかぶりほら貝を吹いて供奉し、行列の進行がよかったことから慣例となりました。 現在まで日高家の代々の御奉仕が続いています。」
なんと起源が驚きの「飛び入り参加」という日高家の瓢箪冠。臼杵ケーブルテレビの人気番組「うすき大好き!」を観ると、現在瓢箪冠を担当している日高さんは船乗りさんだそうで、今年の3月からほら貝を船に持ち込んで練習していたとインタビューでお話しされていました。一度もお会いしたことないのにこんなこと書くのは恐縮ですが、ご先祖様の飛び入り参加のあと300年以上その情熱を代々持ち続けていらっしゃるところが祭りに熱い臼杵人らしいなぁと心底思います。
今年はタイミングが合わず撮影できませんでした。残念。
臼杵祇園祭の期間とスケジュール
開催時期は毎年7月17日を含む週の日曜から土曜の7日間行われます。2023年の今年のスケジュールは
7月14日(金)曳出(ひきだし)
7月16日(日)渡御(おわたり)
7月19日(水)中祇園(なかぎおん)
7月22日(土)還御(おかえり)・曳込(ひきこみ)
でした。
「祭りは日曜から土曜って言ってるのに、14日(金)の曳出ってなんなの?」
という疑問を移住者は持つかもしれません。前述したように渡御や還御は神様の神幸、還幸であり、これ自体は日曜と土曜の設定です。一方曳出の中心は町衆です。2基の踊山がそれぞれの町内から曳き出され巡行を行うことからお祭り前の金曜日と毎年決まっているのです。
曳出の見どころ
1)狭い町内の軒をかわす踊山
京都の祇園祭は美しい幕や天に伸びる山鉾で優美な練り歩きを見せますが、臼杵の祇園祭は勇ましさとスピードがある中での山車廻しの技術が見どころでもあります。また、各町内の狭~い道から曳き出す時はヒヤヒヤもので、家に当たらないよう指示を出す宰領の采(ざい)振りが見ものでもあります。
一番狭い個所になると踊山の屋根と民家の間は約10センチ。NTTや九州電力、はたまた公安委員会の信号機など、民家以外にもヒヤヒヤポイントはたくさん。私的にはこの町なかからの曳き出しは大きな見どころの一つだと思っています。
2)夜曳き
踊山でかき鳴らされる「コンコンチキ」の音色を聞くと、市民はどうしても興奮してしまうのですが、それは踊山の乗組員や曳き手の勇ましさ故。コンコンチキのリズムのアップの後で曳き手が走り出すと踊山も凄いスピードで進みます。
この大きな木造の乗り物を辻のロータリーで見事にターンさせる技は見ものです。京都の祇園祭とは全く違う見せ場で、「こういう祇園祭もあるのか」と県外から来た人はきっと感じることと思います。
百聞は一見に如かず。移住者もこの興奮を是非一度味わっていただきたいと思います。
「渡御」の見どころ
渡御は前述したように神様が祇園地区にある八坂神社から、海添地区にある御旅所まで御神輿で巡行する御神幸。
お槍振りや吹き流し、神馬や瓢箪被りといった行列の後で宮司さんや随従所役の方が御神輿に付き添い、子どもの纏車、踊山と続きます。
1)御神輿くぐり
前述したように、ナンバ歩きのお槍振りや全身瓢箪の瓢箪冠の行列は全国的にも珍しいので一見の価値ありです。また、今年は行われなかったのですが、通常ですと御神輿の下をくぐることができます。そもそも疫病退散の為の夏祭りですので、皆さんも健康面のご利益を期待してくぐってみましょう。
2)踊山の月桂寺ご挨拶
7月16日のお渡りは想像以上の晴れ。あまりの暑さで、撮影途中何度もカメラが動かなくなったほど。
踊山はゆっくり練り歩くところもあれば、勢いよく廻すところもあり、渡御の際は八坂神社の参道から辻に向かっての直角の曲がり角は画角が難しいのですが、臼杵城址の正面ということもあり撮影ポイントとしてはおすすめです。
踊山の巡行ルートは曳出、渡御、還御とそれぞれ異なるのですが、渡御と還御については本丁と呼ばれる旧街道を通ります。このルート沿いには、臼杵祇園祭を始めた臼杵藩主・稲葉家の菩提寺「月桂寺」があり、このお寺の前を通過する際踊山は若干向きを変え、采をお寺に向かって振り続けます。
臼杵市は神社、お寺、キリスト教が絡み合った歴史があるのですが、祭りの一つ一つの動きにその背景があるのは面白いことだなぁと感じます。
3)臼杵高校前での打合
行列や踊山の巡行が面白すぎてついていくと、最終的には私の母校、臼杵高校へ到着することになります。
神様ご一行はこの臼杵高校から一直線に続く道の先にある御旅所へ向かうのですが、踊山は臼杵高校周辺に駐車します。渡御の最後はこの臼杵高校前まで走り込み二町で打ち合いをするので、パワーのある方はこの場所までお見逃しなく。私は日差しのせいもあり月桂寺前でダウン!
長くなりましたが、今回のブログは渡御まで。
この後の祇園祭については次回のブログでレポートしたいと思います。
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