「臼杵ミワリィクラブ」と臼杵城クエストイベント「亀城探検記」
- 藤谷 愛
- 4 日前
- 読了時間: 7分
更新日:3 日前
当ブログでもたびたび書いてきましたが、臼杵市には「ボランティア精神+人生を謳歌したい精神」を持ち合わせた人が多数存在します。「自分たちも楽しみながら、他の誰かも楽しませたい!」という思いで多種多様な活動を行い、それが多かれ少なかれ町おこしにも繋がったりしているのです。
そんな臼杵市の中でも私が「ボランティア精神+人生を謳歌したい精神」をひしひしと感じているのが「臼杵ミワリィクラブ」です。市民なら多くの人が知っている、そしてうすき中央こども園卒園者なら、彼らが過去に行った妖怪話で号泣した子もいるのではないでしょうか?
今回のブログは、この「臼杵ミワリィクラブ」が先日行った特別企画史跡ツアー「亀城探検記」のレポートです。

「臼杵ミワリィクラブ」とは?
2019年のUターン移住当時、私は臼杵ミワリィクラブを臼杵の妖怪普及団体と思っていました。とにかく「バケモノがかり」という妖怪バンドの活動や、妖怪ツアーなどその名のとおり「薄気味わりぃ」活動が目立っていたからです。
しかしこの6年で「実は彼らの活動には臼杵の郷土史も結構絡んでいる」と感じるようになりました。今回この記事を書くにあたり、広報担当の古谷美和さんにお話を伺うと
「妖怪は人が語らなくなれば存在が消えてしまう。臼杵の郷土史も妖怪伝説と共に語ることによって後世に繋いでいきたい」
という点に会の根本精神があるとのこと。

私の同級生の兄にして、臼杵ミワリィクラブ会長の渡辺康生さんのフェイスブックでは、臼杵の歴史が面白おかしく語られることが多いのですが、それがミワリィクラブそのもののように感じます。
「郷土(史)を愛し、後世に繋げていく。無理なく楽しみながら」
その楽しい活動内容の裏には結構アカデミックで「う💛」の精神がたっぷり詰まっているのです。
ちなみに、臼杵ミワリィクラブは、私もびっくりしましたが活動を開始したのがなんと1998年!コロナ禍で一度解散し、現在は元会員に新たな有志も加えて 時折イベント活動をしています。
これまでに
①竹宵のオブジェ制作
②臼杵中央こども園のきりん組(年長さん)お泊り会や、臼杵市浜小2年生対象の妖怪ツアー
③和ロウィン
など、数々のツアーやイベントを開催してきました。
特に感動的でさえあった③の秀逸イベント「和ロウィン」については一度当ブログでも記事にしています。こちらもぜひご覧ください↓

臼杵城址が国指定の史跡に!
2025年3月10日、臼杵城址が国指定の史跡になりました。

その定義などはよく分からないのですが、臼杵城址に関しては1562年の築城から1873年の廃城まで大友→太田→稲葉と城主が変わる中で、歴史の流れと城造りの変遷を見ることができる、という点で評価されたようです。
郷土史を愛する臼杵ミワリィクラブは「この凄い出来事をきっかけに、子どもたちにもっと臼杵を好きになってもらいたい!」ということで、臼杵の(妖怪)伝説と臼杵城の歴史を組み合わせたクエストイベントを企画したのです。
参加人数100人超えの大イベントに!
参加申し込みは事前予約制で、基本的には子どもをターゲットにしたイベントでしたが、小学校低学年以下の子どもには保護者同伴が必須。私の場合は私が参加したかったので、姪っ子二人に半ば強制的に参加してもらいました。
5月25日当日、集合場所である観光交流プラザに行ってみてびっくり!ものすごい数の子供と大人が・・。

「これはついていってきちんと話を聞くのが大変かも」と思うほどの人数でした。ちなみに主催者発表でこの日の参加人数は108人!その全員にお話を補助する資料や城主や妖怪のイラストシールなどが配布され、まずは臼杵城の歴史や妖怪伝説の概要を聞きます。

私も初めて聞く伝説がいくつかありました。特に面白かったのは丹生島の上に作られた臼杵城(正式には丹生島城)がその島の形から亀城と呼ばれていて、町民たちは
「戦いが起こったらとにかく城に逃げ込め!そしたら城は亀だから沖に逃がしてくれる」
と語っていたそうです。

しかし江戸時代に入って本丸と二の丸の境に空堀が作られると「亀の背骨が空堀で分断された」せいで、亀はもう動けないという話になったそうです。
「昔の人はうまいこというなぁ」
と思わずにはいられません。しかし、実際の臼杵城には30基以上の櫓や、いくつもの桝形と呼ばれる敵をせん滅させる仕掛けが山ほどあり、お城に逃げ込めば確かに命は助かりそう。
そんな話に想像を膨らませ、それぞれの伝説の場所を実際に巡っていきます。
飛び道具と妖怪話
子どもたちには分かりやすく、大人にも郷土史の深みが味わえるような構成にするのには相当な努力が必要だったと思います。
例えば臼杵で育った大人だって、大友宗麟時代のお屋敷が江戸時代の本丸、二の丸、三の丸になる変遷模様など知っている人が希少だったと思います。子どもにはそれを楽しみながら教えていかなくてはいけないので、ちょっとした飛び道具も必要になるわけです。「飛び道具」は時に妖怪話、時に突如として登場する河童忍者、そしてカードゲームなどになります。

私的には妖怪などの伝説話が楽しく、がっついたポイントでもあります。
最初のスポット「畳櫓」では、肝試しチックなお話。
その昔の戦いで死んでいったサムライの血や刀傷が畳櫓の白壁に残り、何度漆喰を塗り直しても赤い色が染み出てくるそうな・・・。来年の春の夜桜を見に行く時、ビビりの姪H9歳はさぞかし怖い思いをするのだろうなぁと、ブルっているHを見てニヤニヤしてしまいました。
本丸では白狐伝説の話も。
参勤交代時に臼杵藩上屋敷のお隣さんが火事になり、家臣に化けた臼杵城の白狐が延焼を防いだことから、以降白狐を丁寧に祀ったという伝説。現在の稲荷神社に繋がっている話なので実際の神社もまじまじと見学。

そして景色もいい津久見島を臨む臼杵城東端では大蛇伝説。
大友宗麟の時代、城内に住んでいた家老の娘がイケメン侍と恋に落ちたがどんどん病がちに。イケメン侍に原因があると踏んだ家老はそのイケメンを家来に切らせると、イケメンは海に逃げ込み、そこには泳いで津久見島に逃げる大蛇がいた、という話。現代でも可愛い娘をたぶらかす男はある意味父親にとったら妖怪みたいなやつなのでしょう。今に通じる。

今後も臼杵城址に行くたびに、きっと各スポットでいろいろなお話を思い出すことでしょう。
子どもたちが忘れないように、私も姪っ子たちが付き合ってくれる限り、城址散歩に連れ出そうと思います。
次回企画に向けて!
臼杵ミワリィクラブでは先日の企画の反省会なども行い、鋭意次回企画の構想を練っているそうです。
今回参加できなかった方たちはぜひ次回のイベントは参加してみてください。親子、又は私のように姪や甥と参加してみると、子どもたちと分かち合える、新たな臼杵の魅力発見に繋がると思います。
臼杵ミワリィクラブのフェイスブックページは今後も要チェックです!

<臼杵ミワリィクラブ>
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