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2023.GW、臼杵の特別公開を巡る



ここ臼杵市ではコロナ禍前の2019年GW,それはたくさんのイベントがありました。忙しすぎてめまいがしたほどです。その時と比較すると、まだまだ「本調子」とは言えなかった臼杵市ですが、それでも興味深く臼杵らしいイベントがいくつかあり、私も参加しました。


今回はGWの間参加した2つのイベントについてレポートします。

5/3限定で初公開された、臼杵城址の畳櫓

4/29、水彩画鑑賞と「野上弥生子成城の家」

皆さんは作家・野上弥生子氏をご存知でしょうか?「海神丸」「真知子」「秀吉と利休」などを書いた、大正から昭和を代表する臼杵出身の小説家です。特に「秀吉と利休」は三國連太郎や山崎努といった名優が演じた1989年の映画「利休」の原作でもあります。


1985年に99歳で亡くなり、その数年後に彼女が東京の成城で過ごした家が臼杵市に移築されました。


現在でも居住者のいる民家なので内部を見ることはできないのですが、4/17~4/30まで期間限定で野上弥生子氏の書斎を含む内部の一部が公開されたのです!

甥T・11歳、姪M・9歳、姪H・6歳と訪問

入り口からとにかく素敵で、まさにジブリの世界!

オレンジのスペイン瓦がオシャレ!

この瓦屋根の傾斜がかなり急で、映画「ルパン三世カリオストロの城」でルパンがピョーンと飛び移る城の屋根の急こう配を思い出します。

横から見ると急こう配ぶりがよくわかる

内部はさらに素敵で、床材の木組みや

廊下や部屋によって組み方を変えているところも

窓から見える海の風景に姪や甥もうっとり。

建物に隣接する古い船着き場にも興味津々

「ここで名作が生まれたんだよ」

という言葉が響いたのか響かなかったのかよく分かりませんが、小6の甥Tには、今年の夏休みの読書感想文で野上弥生子氏の作品にチャレンジしてほしいと思っています。

物書きにはやはり窓辺が必要。納得の書斎です

私もすべての作品を読んだわけではないので、今年は一作品、一緒に挑戦してみます。


そして、同期間中同じ敷地内で開催されていたのが、小手川映子さんの水彩画個展。臼杵市在住の小手川さんは野上弥生子氏のご親戚。世界の色々な国を巡って楽しんだ食卓の数々を水彩画で表現しています。

どんな食べ物なのか興味をそそられる絵の数々

凄く細かいところまで優しい色彩とタッチで描かれているのですが、私がとても共感できたのがお料理に当時の値段が書き込まれている点!小手川さんがどのような気持ちで値段を書き入れたのか、直接おうかがいしたわけではないのでこれは私の想像なのですが、多分、

「こんなに美味しいのがこんなに安く食べられるの!?」

という感動があったのではないかと。私も海外で買い付けをするときはそういうことが良くあるのです。


美味しさ、食材の珍しさ、テーブルコーディネートの美しさ、空気感、お値段。小手川さんの水彩画から、コロナや紛争のせいで少し遠ざかっているヨーロッパやイギリスでの食卓の感動を思い出した時間でした。


5/3、臼杵城址ツアーと畳櫓

明治政府の方針で取り壊された臼杵城ですが、江戸時代から残されている遺物がいくつかあります。

その中でも江戸時代から残る櫓の一つ「畳櫓」が5/3に初公開!50年生きてきてこんなこと無かったので、仕事も休みにして出かけてきました。


当日は午前と午後に臼杵市役所文化財課の職員が解説する臼杵城址ガイドツアーも同時開催。

臼杵市役所文化財課の神田さんが解説してくれました

畳櫓も解説付きで巡れるとあって、午後2時半からの回だけで40人以上が参加という大盛況でした。

お城マニアの方も熱心に質問を投げかける充実ツアー

臼杵城についてはこれまでも折々こちらのブログに書くこともありましたが、この城に関する十分な説明など2000文字程度でできるはずもありません。ですので今後も色々なタイミングでちょこちょこ出てくると思います。どうぞお付き合いください。


さて、今回の城址ツアーは前出の写真の看板にあるとおり「海上要塞」としての臼杵城の構造をテーマに巡るツアーでした。つまりどのようにこの城が防御という点において優れていたかをチェックしていくのです。


現在の臼杵城址周辺は全て陸地ですが、つい昭和30年代くらいまで海辺や堀川といった江戸時代からの水辺が城の近くまであったのです。1562年に大友宗麟が築城したころの周囲は海。現在でもその状況が続いていたら世界遺産になっていたと思います。

「あの山のあたりまで海でした」との解説に一同驚き

16~17世紀に城下町と城を繋いでいたのはお城の正面にある「古橋」と、北側に位置する「今橋」のみ。

例えば古橋からの攻撃に対して、その登り口には鐙坂という急に道が狭くなる切通しのヘアピンカーブがあります。まずはそこで狙い撃ちされる恐ろしい戦略。

武具を着けていたら一人通るのがやっとの鐙坂。一人ずつ狙い撃ちされる恐怖の道

そして今回初めて知った「桝形」。古橋口からの道にも今橋口からの道にもいくつも設置されていた跡があり、これが最高に恐ろしい殲滅施設。


桝形は、16~17世紀を生きた築城の名手・藤堂高虎が開発した防御用建築物で、大阪城の大手口などはその代表格です。その名の通り四角く背の高い構造で、入り口から出口までまっすぐ行けないように作られています。


前述したように、臼杵城では本丸に辿り着く前にいくつも設置されており、今回のツアーでも神田さんの力説ポイントの一つ。

「ここが桝形ですね。ここに入ってきたら上部にかまえている30名くらいから一斉射撃を受けます。なんとかそこを切り抜けたとしてもまたあそこに桝形があるんですね。そういう感じでどんどんふるいにかけられて、最後は全滅です。」

と言う神田さんの解説に、参加者40名以上も

「ありゃぁ!そりゃぁダメじゃわぁ」

と壊滅気分。海上要塞・臼杵城は鉄壁のディフェンスなのです。

桝形跡地で当時の武士の辛さを想像

ツアーはその後、要塞としての役割に加え、本丸と二の丸をいったりきたりした居館や、大友宗麟の女性関係など、歴史上の人物が身近に感じられる話も織り交ぜながらの充実した1時間でした。


そして、今回初めて公開された畳櫓についても触れておかねばなりません。


臼杵城址の畳櫓は全国に4基しか残っていない「重箱造り」と呼ばれる構造を持つ櫓です。1階と2階の床面積が同じでまさに重箱型。江戸時代から残る重要な遺構の一つです。

古橋口から近い畳櫓

畳櫓の2Fから城下を眺めると、海上要塞・臼杵城の守りの要となる櫓の一つで、旧街道をガッチリおさえているのが分かります。

写真手前の建物エリアは当時は海!街道の眺めを遮るものはありませんでした

現在本丁と呼ばれる旧街道は辻という広場に繋がるのですが、本丁を通っているときも、辻の井戸で水を得る時も遮るものなく狭間から確実に狙われます。

鉄砲狭間から狙い撃ち!

城の守りという難題に対処した建物ですが、その風通しの良さと眺望は格別で、

「あー、こんなところに家を建てたいなぁ」

と感じたのは私だけではないはずです。

2F内部は眺望と風通しが良く昼寝に最適な環境

この畳櫓、私が今まで生きてきた50年で初めての公開。次はいつになるのでしょうか?

ただ、市役所文化財課の神田さんや産業観光課の職員の方は「城址のツアーは今後も機会があればやっていきたい」とおっしゃっていました。もしかしたら、畳櫓の他にもう一つ江戸時代から残る遺構「卯寅口門脇櫓(うとのくちもんわきやぐら)」も公開になるかも!?という期待を抱きつつ、今後の臼杵城址ツアーの開催情報を待ちたいと思います。


今回参加できなかった城マニアの方がたも次回はぜひ。当ブログでも鋭意情報発信していきます!

画になる貴重な遺構「畳櫓」

<臼杵市役所産業観光課>

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