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臼杵城の歴史に没入!ゴールデンウィークイベントに参加する

  • 執筆者の写真: 藤谷 愛
    藤谷 愛
  • 5月14日
  • 読了時間: 6分

ゴールデンウィーク。

世の中は家族でお出かけする楽しい時期のはずですが、私は自営業の身。

「どこに行っても並ぶ時に出歩く必要なし」

という両親の言葉を受け継ぎ、この時期休みを取って出かけることはほぼありません。


とはいえ、家でユーチューブばっかり見ている小学生の姪たちにはかなり不健康だと思い、臼杵市が行うゴールデンウィークイベントに1時間だけですが連れ出しました。


今回は、国史跡の指定を受けさらにパワーアップした「臼杵城跡GW特別ガイドツアー」をレポートします。

臼杵城下町を見張るサムライ
臼杵城下町を見張るサムライ、かっこいいぜ!

想定の2倍超!参加者多数の盛況ぶり

5/4に行われたツアーは「かつての臼杵城が大友宗麟時代→太田一吉時代→稲葉時代までどのような城だったのか?」をイメージしながら臼杵城跡の遺構を見学するもので、午前と午後の2回開催。私は午前10時の回に小5と小3の姪2人を連れて参加しました。

臼杵城現地ガイドツアー
主催者(市役所)もびっくりの大人気ツアー

驚いたのはその参加人数。私たちは15分前に受付に行ったのですが、どうも9時半には募集人数の20名に早々に達していたようで、30名に拡大するも即満席。さらに参加希望者が集まってきていました。

残念ながら私たちは先着20名のお土産はもらえませんでしたが、その中身を見せてもらいました。

臼杵城ガイドツアーのお土産
5/4先着20名がもらえたお土産一式

初だしの臼杵城グッズ「キラキラステッカー」や

キラキラステッカー
キラキラの中に大手門が浮かび上がる

日付入り御城印も。

御城印
稲葉家のご家紋入り!

その他、臼杵市歴史資料館の無料入館券なども入っていたようです。

ちなみに御城印は城の麓にある観光交流プラザで販売しているので、欲しい方はぜひこちらにもお立ち寄りください。


畳櫓と卯寅口門脇櫓

かつて「丹生島城」と呼ばれていた臼杵城は、周囲を海に囲まれていました。陸からアクセスできたのは城下町から見て正面にある「古橋口」と、古橋を正面に見て左側に回り込んだところにある「今橋口」のみ。鉄壁の海上要塞だったわけです。

臼杵城古橋口
古橋口を渡る姪HとM

しかも30基を超える櫓が立っており、平和な江戸時代には似つかわしくないほどの城塞っぷりだったと思います。ガイドの方によると、そもそも築城した大友宗麟の時代の終焉には臼杵城は火災で焼けてしまったようで、その後入城した太田一吉の時にはもしかしたら何も残ってなかったかもしれない、とのことでした。

太田一吉も西軍サイドだった関ヶ原の戦いを境に京都に隠居するようになり、現在残る臼杵城跡の多くは稲葉家が君臨した江戸時代のものばかりとなっているのです。

臼杵城跡
子ども時代に遊んだこの場所にもかつては何かしらの建物が立っていた痕跡が・・

昨年と同様、江戸時代から現存する二つの櫓が一般公開されました。2023年からGWのみ公開される貴重な機会となっています。ちなみに卯寅口門脇櫓は「うとのくちもんわきやぐら」と読みます。

前回私がお城ツアーに参加したのは2023年で、この時は畳櫓のみの公開でした。

臼杵城畳櫓
今年の櫓見学にはサムライも登場!

今年も鐙(あぶみ)坂や畳櫓の説明を聞いて歩きましたが、2023年のブログでも書いているので今回は省略。詳細はコチラをどうぞ↓


一方、卯寅口門脇櫓は古橋から入城してほぼ真逆の方向に位置しています。つまり津久見島や豊後水道を臨む海側になり、海から城にアクセスできる場所でした。その昔の波打ち際を想像してしまいます。そこに立っている櫓ですから、重要度はかなり高かったのだと思います。

卯寅口門脇櫓
現在の卯寅口門脇櫓

しかし残念ながら今年もその内部を見学する時間はありませんでした。次回こそは内部から津久見島の写真を撮影したいと思います。


「亀の首」はどこにあったのか?

そして、今回私がどうしても知りたかったのが「亀の首」のあった場所です。

臼杵城は亀のような形をしていたことから「亀城(きじょう)」とも呼ばれていたようで、臼杵市で高齢者が学ぶ教室名だったり、かつてあった結婚式場だったりと臼杵ではその名を未だに聞くことがあります。


臼杵市が昭和30年代後半から40年代前半までの間に、現在の警察署からJR臼杵駅の間の道より海側エリア(現在の洲崎)の埋め立てを行いました。当時城下の辻エリアに集中していた市役所、警察署、消防署、郵便局などの官公部門を洲崎に移転させるためです。

臼杵城の亀の首
「亀の首」サイドは津久見島も眺められ景色が良い

前述したように亀城と呼ばれた形状の亀の首の部分は、ガイドさんによると現在の臼杵郵便局の北側にせり出していた岩礁部だったそうです。

初めて知りましたがかなり広いエリアです。しかし、当時の埋め立て工事と道路建設の為、首の部分のど真ん中に道路を通す(警察署と臼杵駅を繋ぐ道)ことに。首を切るような形になった為、信心深い臼杵の人たちはきちんとお祓いを行ったそうです。

臼杵城跡の亀の首跡地
道路によって切られた亀の首

「あの辺まで岩礁で、目の前まで海が迫る素晴らしい光景だったろうなあ」

と妄想ばかりの亀の首エリアでした。


この後一行は卯寅口門脇櫓を見学しましたが、私は実家のレストランのオープン時間になっていたためタイムアップ!姪たちと猛ダッシュで帰宅しました。

臼杵城ガイドツアーの給水所
晴天なのでありがたかった、市役所が用意してくれた給水所

「福幸音楽祭」も

臼杵城跡ガイドツアーの前日には、八町大路火災の復興を支援する「福幸音楽祭」が更地となった被災地で行われました。

八町大路福幸音楽祭
八町大路福幸音楽祭のオープニングは和太鼓

私はこの日も実家レストランの手伝いでほぼ見ることはできませんでしたが、ランチ営業が終了して自分の昼御飯用に福幸音楽祭に出店している飲食店でランチを購入。

八町大路福幸音楽祭でランチ
「さんぽみちbeer & wine」と「ポルト蔵」の出店でランチ購入

一つは今回被災した「さんぽみちbeer & wine」さん。本町に出店していたうどんのお店が今回の火災で全焼してしまったのです。店主の吉田さんは研究熱心でお料理上手。友人との飲み会にはよく利用させていただいています。今回は時間が遅く、唯一残っていた「ジーパイ」という台湾のから揚げを購入。スパイスが効いていて美味しかったです。これ、アツアツはビールと間違いなく合います。お店でも提供していれば次回はこれでまず一杯いきたいところです。


もう一つは「ポルト蔵」さんの「しらす丼」。しらすってしょっぱいイメージがあったのですが、トマトやネギと混ぜて食べるとほんのり甘さを感じます。1,2滴醤油を垂らすとさらにまろやかさか際立ってあまり感じたことのない美味しさでちょっと驚きました。もしかしてクチナシの実で色付けした黄飯の効果もあるのでしょうか?今度店主の安野君に聞いてみようと思います。


盛りだくさんだった臼杵市のGWイベント。今後も秋まで臼杵市は何かと目白押しです。

毎週末の臼杵市のイベントは要チェックですよ!

臼杵のゆるきゃらほっとさん
この角度だとニヒルな笑顔が魅力の「ほっとさん」。イベントにはちょくちょく登場する

ちなみに今月の残り、私が行く予定のイベントはこちらです↓


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