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心に残る景色を見よう!臼杵・二王座散歩

臼杵市でもいろいろな方面で影響を受けているコロナ問題。学校が休校になったことで、私の経営する整体院でも子供のお世話をする女性のお客さまの数が減りました。


私のお店のある八町界隈には飲食店が多いのですが、いろいろと話をお伺いするとその打撃は大きく、飲食店のお客さんが減ると→納品業者→生産者と、影響は一つの業界だけにとどまらない、ということをまさに体感しています。とにかくこのコロナウィルスが早く収束するよう願うばかりです。


ただ、町の寂しさと共に自分の気分まで沈んでしまってはどうしようもないので、私はこのできた時間を使って、移住者(移住検討者)におすすめしたい臼杵の美しい風景を写真に収めることにしました。


今回は「二王座散歩」。臼杵市と言えば「町残し」ですが、その最たる場所である「二王座」をご紹介します。

二王座にある法音寺から撮影

スタートは切通しで有名な「臼杵歴史の道」

今回は写真の緑色のルートを歩いてみました↓

スタート地点は地図上⑤の位置

所々で文化財級の武家屋敷がいくつも有り、建物にはその由来などが書かれた表示板があるので、それらをじっくり見ながら歩くと1時間ほどの散歩道になると思います。


さて、スタート地点からちょうど切通しの坂道を眺めるとこんな感じ↓

右側の建物は元武家屋敷。現在は私有地の為、中に入って見学することはできません

すでに画になります。

「切通し」というのは、山や丘を切り崩して作った道のことで、二王座界隈にはこの切通しが数多くみられます。この辺りは数万年前の阿蘇山のカルデラ噴火によって堆積した火山灰が固まってできた凝灰岩の丘。それを手作業で掘削するのは大変な作業だったと思います。この道は、大友宗麟時代、つまり16世紀中ごろに作られた道で、その時から変わらず臼杵を代表する道として存在感を発揮しています。


この通りはどこから眺めても一級品の美しさ↓

前の写真の右一番奥の建物の2階から、前の写真の位置を眺めた図

古い屋根瓦が広がるこのエリアは少し高い位置から眺めるのがポイントです↓

2、3枚目の写真の中間地点を脇に入った階段

360度美景色!魅惑の三叉路

前の写真の道を通り抜けるとこの三叉路に出ます。この場所が360度ぐるりと回ってもどの角度も美しいのです。

切通しが数多くあるため石垣も多い二王座界隈

この写真を撮影している背後には田町へ続く「甚吉坂」が↓

石垣から花が芽吹く春は、甚吉坂でSNS映えする写真が撮れる

1586年の島津軍侵攻の際に臼杵城守備に活躍した大友宗麟の家臣・吉岡甚吉の名前に由来したこの坂、敵がまっすぐ来られないように描いたカーブが、現在はSNS映えする「臼杵曲線」(←勝手に名付けた)に。

余談ですが、この吉岡甚吉は大分市鶴崎にあった鶴崎城の城主でしたが、この島津侵攻の時に鶴崎城を守ったのが母の「妙林尼」。めちゃくちゃ頭が切れて恐ろしい女性でした。パソコンで「吉岡甚吉」と検索しても、出てくるのはこの妙林尼の情報ばかりなのですから、いかにコワい女性であったのかは言うに及ばずです。


話は元に戻って、散歩で行くのはこの三叉路の最後の道。二王座の小高い丘の上へ向かいます↓

丘への上り坂になっているがそれほど急ではない

この坂の脇には写真のようにたくさんの横穴が開いています。これは第二次大戦時の防空壕で、昭和18年位に掘られたものらしいです。私は子供の時臼杵幼稚園に通っていましたが、まさにこの道を歩いて通園。当時は今ほど穴がきっちり塞がれておらず、覗いてみようと思ったら覗けたのですが、親から厳しく防空壕の中にはお化けがいると言われていたため、覗くことはしませんでした。子供の時からちょっと恐ろしい坂道だったのです。


この坂を超えると、東の方向にさらに丘の上に上がる坂がありますが、これもまた臼杵曲線。その脇道も見事にくねくねしています↓

チョイくねが何度となく繰り返される
「くね」の内側に入るとこんな感じ

私の「臼杵一」!二王座の丘のてっぺん

二王座公民館のある通りまで上がると、そこがこの丘のてっぺんです。ここからの塩田・福良地区はなかなかの眺めです↓

旧伊吹家住宅前。現存する臼杵市最古の侍屋敷で1790年築

この写真の正面にある旧伊吹家住宅が、今のところ臼杵で一番好きなお屋敷です。私有地の為中に入ったことはありませんが、外から見る限り「丘の端っこの家」という最高の眺めを持っているであろうお宅なのです。

18世紀後半に作られた、もはやお城にさえ見えてしまう立派な石垣の上に立つ建物。門から惚れ惚れと眺めてしまいます。

内部公開など無いと思いますが、もしそんなチャンスがあったら何をおいても絶対に見に行きます。


旧伊吹家住宅とは逆方向に延びる「二王座新道」を通り本丁へ下っていきますが、その途中でもやはり魅力的な建物が並びます↓

石垣、土壁、石段に門構え・・とにかく素敵

こちらも元は武家屋敷だったお屋敷群。特に旧今井邸は写真で見ても分かるように、石垣とその上にある土壁を楕円形のような形にしてちょっと出っ張らせています。こうすることで奥が見通せないような造りにしている、臼杵の武家屋敷に見られた特徴的な建築スタイルの代表作。


この武家屋敷群を抜けると下り坂になっていて、ここからは臼杵湾に浮かぶ津久見島や造船所も一望↓

お墓も陽当たり良くなかなかの立地

驚愕の巨大石垣!「蛤小路」

本丁から蛤小路という小さな路地に入っていくと、こちらもお城かと見まごうほどの立派な石垣↓

高さ7メートルの巨大な石垣。「これが難攻不落の臼杵城です」と言ったら騙される人もいるのでは?

この石垣、19世紀中ごろに作られたものだそうですが、私が子供の時はこの石垣の前に民家がびっしり並んでいて、子どもの背丈では背後にこんな石垣があるなんて全く知りませんでした。区画整理を行ってこの石垣をこんなに素敵に見せることに成功したのは、市役所の皆さんとここの整理に協力をした市民の功労あってのものだと思います。


お城のように見える石垣ですが、実は多福寺というお寺さんのもの。石垣ファンには堪らない美しさではないでしょうか?


そ多福寺の入り口がこちら↓

歴史を感じる多福寺の苔むした階段

この階段は臼杵の秋の風物詩「うすき竹宵」の時に竹灯籠が綺麗に並べられる場所。ポスターにも起用されたほど美しく変化します。その竹宵の時の写真がこちら↓

11月の「うすき竹宵」は移住者も観光客も楽しめる一大イベント

これで今回の二王座散歩は終了です。いかがでしたか?臼杵市の美しい建築物の数々をこの二王座界隈で見ることができます。またお寺が数多くあるエリアでもありますが、文字数の関係で今回はすっ飛ばしてしまいました。また時が来たらきちんとお寺さんも取材させていただきご紹介できたらと思います。


臼杵の素敵な風景を見られる二王座散歩。あまり人もいないルートですが、やはり念のためにマスクをしてお楽しみください。













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