私が子供の頃、実家から一番近い「公民館」と呼ばれる場所は、現在和菓子の「さかいや」さんが店舗を構えるところあたりにありました。
昭和50年代においてその公民館は既にオンボロで手狭な印象でしたが、至近距離でガチャピンとムックを観たときには大興奮したものです。さらに現在60代以上の人の話を聞くと、彼女たちの若かりし頃には桜田淳子や森田健作がコンサートをやっていた、というのですから驚きです。ちなみに淳子や健作へのプレゼントは、今は無き本町の「文泉堂」で仕入れていたそうです。
平成生まれの臼杵市民にはもはや何の話かよく分からないと思いますが、とにかく町八町の人間にとって公民館は一大イベントが行われた場所だったのです。
そして令和の現在。Uターン移住してみると、公民館はもちろん存在していますが、「コミュニティセンター」(以下、コミセン)という施設をよく見ます。今回は、4月20日に竣工記念式典が行われたばかりの「下南地区コミュニティセンター」を例に、臼杵市民のコミセン活動について触れてみたいと思います。
廃校となった「臼杵商業高校」を有効活用
まずこの下南コミュニティセンターのある場所ですが、旧臼杵商業高校のグラウンド跡地となります。グーグルマップで見るとこのあたりです↓ 旧臼杵商業高校MAP
私が高校生だったころ、臼杵市には県立の臼杵高校(普通科)、臼杵商業高校、水産高校と、3つの高等学校がありました。1908年に開校した県内最古の商業学校でしたが、2012年に閉校。
南海トラフ地震による津波が想定される臼杵市では、高台にあるこの跡地に市役所全体を移転する計画もありましたが、紆余曲折を経て、2019年に建設課と上下水道課が移転しました。
被災を想定し、町づくりの基本となる課を高台に移転し、そのグラウンドも災害時の駐車スペースとなるよう整備。また備蓄倉庫も今後作られるということで、災害拠点の一つとなる跡地利用に安心感を覚えます。そんなエリアの一角に、避難場所としての役割も果たすコミセンが作られました。
下南コミュニティセンターができた経緯
毎年移住者が250名ほどいる臼杵市ですが、過疎化の町であることに変わりはありません。
これまでは小さな自治会単位で地域の繋がりがありましたが、現在では高齢者ばかりが目立ち小さな自治会区ではどうにもこうにもならなくなってきました。
こういった地区の高齢化の影響もあり、臼杵市では市内18地域において小学校区単位で地域活動を行う「地域振興協議会」の設立を推進してきました。例えば、私の住んでいる掛町は「中央地域振興協議会」のエリアとなります。その活動拠点となるのがコミセンなのです。残念ながら淳子や健作のような歌手がコンサートを行う場所ではありませんが、運動・文化教室が行われていたりします。
この下南地区ではこれまできちんとした活動拠点がなかったことに加え、後述する地域の要望に応えた結果としてこの場所にコミセンができました。
入り浸りたいほど心地よいその環境と内装
式典を取材するにあたり、高台にバイクで上がってきましたが、緑に囲まれたその環境の美しさに清々しい気持ちに。
さらにその内装には木材がふんだんに使用され、香りがいいのです↓
オーブンも完備した調理室があり、農家がたくさんいらっしゃる下南地区では楽しいお料理教室やイベントの炊き出しなどにも重宝しそうですよね↓
これらの設備やこのコミセン自体をどのように活かすかは下南地区の皆さん次第。これまで以上に地域のつながりが深くなるよう活用していただきたいですね。
また移住してきた方も、これらのコミセンイベントなどがより早く地域に溶け込むきっかけになるかもしれません。今後のコミセンイベント情報は要チェックです。
子供を見守る場所としても
記念式典の最後には、市立下南こども園の年長さんたちが合唱を披露してくれました↓
合唱が終わると、この子たちがぞろぞろと隣の建物へ↓
なんと、これまた新築の「臼杵市立下南こども園」が隣接しているのです!
コミセン設立の検討が始まった時、令和2年4月1日に設置されたこども園と隣接させてほしい、という要望がありそれを実現させた形となりました。
いろいろな形でコミセンを利用する大人たちと子供たちが交流できる素晴らしい場所になることと思います。
それにしても、いかがですか?コミセン研修室から眺めることができるこの広大な園庭!
あまりに素晴らしい環境・設備だったので、個人的にかなり興味が湧き、是非取材させていただきたいと園長先生に名刺まで渡してきてしまいました。
もちろん市立ですので、今後正式に取材許可を担当部署にいただき、その内部については改めてこのブログでレポートしていきたいと思います。
子連れ移住検討者の皆さん、どうぞお楽しみに!
【関連リンク】 臼杵市立下南こども園
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