八町大路火災からの復興 その2「メガネの豊福」
- 藤谷 愛
- 4月23日
- 読了時間: 6分
先月から月に1回、八町大路火災で被災された商店を取材させていただいています。
復興はとても長い道のりになると思うので、被災した人たちを忘れずサポートしていくためにも、1~2か月に1回、被災者や町の復興について書く予定です。
取材では初めて知ることも多く、特に商店街にある数々のお店が、凄く専門性をもった個性ある商店ということに今更ながら気づかされて驚いています。
そんなお店の一つが今回紹介する「メガネの豊福」です。

漁師からメガネ屋へ
「メガネの豊福」の歴史は現在の店主・山中健一さんのお父さんから始まります。
健一さんの祖父はそもそも漁師で、お父さんも津久見のセメント会社に勤務していましたが、起業を目指し脱サラ。姉の嫁ぎ先だった津久見市の「豊福メガネ店」(現在は閉業)で修業することに。
1958年に暖簾分けをしてもらい、臼杵市の本町で自宅兼店舗として開業しました。
開業から8年後にその場所で誕生したのが現店主の健一さん。今回の八町大路火災で全焼してしまった「メガネの豊福」は、健一さんのお父さんが開業し、健一さんが生まれ育った建物でした。

一瞬にして家族の歴史の形がなくなってしまうのが火事の恐ろしさと悲しさで、取材でこういう家族の歴史をお伺いすると本当に胸が締め付けられる思いがします。
メガネ屋さんに就職しない眼鏡士
私は時折臼杵市の歴史が絡むブログ記事を書くのですが、そのとき次々と沸いてくる疑問に困り果てることがあります。そんな時は「臼杵の歴史に関する疑問は、花屋さんかメガネ屋さんが解決してくれる」と言う弟に従い、どちらかに聞くと確かに概ね解決するのです。そのメガネ屋さんというのが健一さんです。
メガネ屋さんなのにやけに郷土史や祭りの歴史に精通している研究家肌の健一さんのその気質は、認定眼鏡士を目指していた専門学校時代に始まっていたのかもしれません。

健一さんが専門学校に通っていた1980年代当時、メガネを作るのに必要な資格は「認定眼鏡士」というものでした。現在は眼鏡作製技能士という国家資格があり健一さんも1級資格を取得しています。
専門学校を卒業し認定眼鏡士資格を得た健一さんは、同期の98%が就職先として選ぶ「メガネ屋さん」には就職しませんでした。専門学生時の眼科実習を経て、目の検査をする技術や視機能をより深く学ぶことに重要性を感じた健一さんは、病院実習で縁ができた眼科医の下、9か月ほど無給で検査訓練などを行ったそうです。後にOMAと呼ばれる「眼科検査員」の資格(現在は廃止)を取り正式に眼科勤務が始まります。そこからの縁繋がりで今度は大阪大学の眼科で共同研究を始め、共同制作で論文まで発表したそうです。専門学校を出て阪大で論文制作に携わるなど、なかなかないキャリアです。

健一さんの研究家肌の疑問が腑に落ちました。
カスタマイズのプロフェッショナル
大阪で検査員として働きながら研究をしていく中で、健一さんは目の問題が起こす学習障害の重さを痛感します。
例えば文字が上手に書けない子どもがいるとします。下手とかではなく、明らかに形がおかしいのです。それは脳の問題なのか、目の問題なのか検査をしていくことでその原因を突き止めることができ、学習障害の一つとして診断されます。
しかし、そういう可能性があることを知らない学校の先生や家族にその子が囲まれているとしたら「できない子ども」と思われ「練習しなさい」「練習が足りない」と言われるばかりです。そんなことを言われ、思われ続ける1日6~7時間の学校生活はまさに地獄でしょう。
健一さんはそういった可能性のある子どもの検査を医療現場で行い、治療をして治るのか、メガネを作ることで改善できるのか、というようなあらゆる選択肢を医師、本人、ご家族も交えて検討していきます。
大阪時代からそのような検査・研究を行ってきて、現在は月に数回大分市内のクリニックで視知覚認知検査などを行い、子どもの発達障害の検査に携っているのです。

これらの臨床すべてが直接メガネづくりに繋がるわけではありません。しかし、「メガネの豊福」にはこういう障がいをもった子どもがメガネを作りに来ている例があります。
実は私の実家のレストランでも健一さんのお客さん親子が食事をしに来たことがあり、その時
「豊福さんでしかうちの子のメガネはできないんですよ」
とお母さんが言っていたことがありました。今回の取材で「なるほど、こういうことだったのか」とまたまた腑に落ちたのです。
「メガネの豊福」の個性は、まさに健一さんのこれまでの研究や発達障害の臨床に立ち会ってきた過去に由来するものだと思います。時には「今はメガネを作るタイミングではなく病院に行くタイミングです。」とお客さんのメガネ作りの希望をお断りすることもあるといいます。
「お客さんの状態を把握し、どんなタイミングでどんなレンズをどんなフレームで」
健一さん独自のカスタマイズのプロフェッショナリズムこそが「メガネの豊福」の個性だと思います。

「手広くやらない」今後
八町大路火災では、火事に気付いてすぐ「せめてこれだけは!」と持ち出したのが、顧客の目のデータが詰まったファイルとパソコンだったと言います。その直後で店舗は全焼。悲しみに暮れる間もなく消防第一分団の分団長として延焼を食い止めるべく消火活動に携わった健一さん。営業を再開した3月5日まで、大変な3か月だったと思います。
今後の展望を伺うと
「手広くやらない」
と即答。フレームの商品構成や取り扱いブランドは少し変えていくそうですが、今までやってきたことを着実に繋いでいく、というのが今後の展望だそうです。

私は個人的に発達障害を抱えた子どもの対応に一度失敗したことがあり、発達障害について自分なりに少し勉強をしました。そんなこともあったので、健一さんのこれまでの研究や活動をかなり心強く感じました。
通常のメガネ作りはもちろん、目が原因と思われる学習障害があって、病院に行くことを躊躇している保護者の方がいたら、「メガネの豊福」を最初の窓口にしてみてはどうでしょうか?
障がいを抱え学校生活に内向きになっている子どもたちが変わるきっかけを「メガネの豊福」で作っていただけたらなぁと思っています。

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