臼杵祇園祭と幕洗い2025
- 藤谷 愛
- 7月23日
- 読了時間: 7分
7/19(土)に今年の臼杵祇園祭が終了しました。生まれも育ちも町八町の私にとっては知り合いも多いので「とにかく事故なく無事に終わって良かった」の一言に尽きます。
本当は神事から町八町の賑やかしまでカメラ片手に追っかけたいのですが、整体業だけでなく実家レストランの仕事もしているのでスケジュール調整が難しく、なかなかすべてを見ることはできないのです。
2023年に祇園祭の歴史を含む祭りの風景を記事にしていますので、「臼杵祇園祭ってどんな祭り?」という方はこちらもご覧ください↓
さて、今年の祇園祭から私が学んだのは「共存」について。
何だか理屈っぽくて小難しい感じがしますが、少子化に悩む臼杵、ひいては日本の今に通じる大切なことを見たような気がするのです。しかも成功例。祇園祭を通して感じたことに今回は焦点を当ててみました。

今年の当番町は掛町と畳屋町
私は唐人町に実家があるのですが、整体業・雑貨業・ゲストハウスを運営している店舗は掛町にあります。ですので、4年に2度も幕洗いに参加するという貴重な経験をさせていただいています。それで、今年は店舗のある掛町が当番町の一つということで、19日(日)の幕洗いに参加させていただきました。
掛町はメインストリートが約350メートルと、八町の中でも一番長い道を持つ町です。
明治以降は掛町、浜町、横町にたくさんの海産物問屋や海鮮関係の料理屋がひしめいていたこともあり、野津をはじめとする山間地域から年末などにはこの町に買い出しに来てそのまま泊まって帰る、ということが多々あったそうです。掛町にも私の子ども時代にはまだたくさんの乾物屋さんがあったものです。
掛町の集会所は「掛町クラブ」という建物で、こちらには以前撮影した祇園祭の集合写真があります。例えば昭和36年のこちら↓

間違いなくこの町の住民のみで行われた祇園祭だと思います。
私が子どもだった昭和50年代はとにかく町には住民が多く、どんなに他の地区の人が山車に乗ってお囃子を打ち鳴らしたいと願っても、それはご法度でした。祇園祭の山車運行は八町の人間の誇りであり本当に特別なもので、八町外の人にはアンタッチャブルだったのです。
ですので、同じ臼杵市でも、八町出身の人は「お町の人」というように他の地区からちょっと特別に呼ばれたりしました。
しかし時は過ぎ、八町に住む住民は多くがご年配となったり、かつて活況を呈していた通りの店舗や家々も空き家になったりと、山車の運行が八町の住民だけでは立ち行かなくなってきたのです。
祇園祭山車運行の互助会システム
祇園祭では八町のそれぞれが互助会を行っており、
a)新町
b)唐人町
c)掛町
d)田町
が1グループ。掛町が当番だった今年は、他の3町がサポートにつきます。
同様に
a)浜町
b)横町
c)畳屋町
d)本町
がもう1グループとなり、畳屋町が当番町だった今年は他の3町がサポート。
ちなみに4年に1度当番が回ってくるのですが、その2町の組み合わせは上記の対のアルファベット同士となります。2026年はa同士の新町と浜町が当番となりますので覚えておきましょう。
全く縁が無くても熱い気持ちで参加
それに加えて、町ごとにルールは違うと思うのですが、八町以外の人も山車に参加しています。「親戚が当番町民」とか、「勤めている会社の所在が当番町」などもその一例。
例えばフンドーキン醤油は浜町が起源、フジジン醤油は唐人町が起源のため、当番町の時はそれらの会社の従業員が出ることもしばしば。
掛町においてはそういった大きな企業も無い上若手が足りないので「祭りに出たい!」という熱い気持ちが最重要と思われます。また、乗組員の場合お囃子練習に参加する時間調整は必須。区長さん等に相談をして検討の末参加の可否が決定すると思います。
縁もゆかりもなかった方が参加した一例は今年もあり、大分のテレビ局TOS「ゆ~わくワイド」の企画「全力お手伝い」でローカルタレントの森祐作さん(豊後大野市出身)が乗組員として参加しました。

県内各地でロケをしているので、そのあと練習に駆けつけたりして大変な6月を過ごしたかと思います。でもその心意気や掛町に対する思いは地元の人と全く遜色なく、お囃子の音色も見事なものでした。その様子は明日24日にオンエアされる「ゆ~わくワイド」で完結編を観ることができるので、ぜひご覧ください!
森さんのようにこれまでご縁が無くても参加して、掛町区民と同じように立派に務めあげた乗組員や曳手の皆さんがたくさんいて、幕洗いの時にハッと気づかされることがあったのです。
誰もがムネアツになった幕洗い
「幕洗い」は臼杵祇園祭の当番町の乗組員が、家族を含め、支えてくれた方々に対してお礼を述べ、区民も参加者皆さんの努力をねぎらうという打ち上げです。昔は山車の下方を飾る幕を本当に洗っていた日だったそうで、掛町に関しては昭和50年代位まで今の久家本店の工場のある末広川まで洗いに行っていたというのですから驚きです。
幕洗いで何が行われるのかはその町それぞれだと思うのですが、掛町ではカラオケ、ビンゴゲーム、そして秀逸だったのが練習や本番を通しての「珍プレー好プレー集」のような映像集があり、3時間半近くあったのですが、掛町の幕洗いに初めて参加した私も凄く楽しめました。

何より、掛町のご年配の方々から聞く昔の祇園祭の話はもはや「臼杵史に残した方がいいのではないか?」というようなものもありネタの宝庫。今度しらふ時にきちんと取材したいくらいです。
そんな中でもムネアツだったのは乗組員や連長(乗組員のまとめ役)、宰領(山車の運行まとめ役)の感想発表の時間。それぞれが本業や家庭を抱える中で6月の練習期間からこの幕洗いまで、一致団結して祭りを最優先にして創り上げてきたのですから、その感無量たるや10代の文化祭に負けず劣らずの感動大作に間違いないのです。まさに男泣きでした。
彼らの言葉を聞くと「周囲への感謝」「外から来た乗組員だからこそ掛町に恥をかけさせられない」「祭りが終わっても自分たちは『掛町若衆』として見られるのだから、恥ずかしい事はしない」といったとても清々しく優しい言葉の数々で、聞いている我々は大感動してしまったのです。
私の隣の席だった生まれも育ちも掛町の70代Kさんも
「ワシは幸せや~。全然関係のない人たちでもこんなにまとまって祭りを繋いでいってくれる。幸せや~。」と何度も感動していました。
繋いでいく、繋がっていく
幕洗いと同じくして行われた国政選挙。臼杵ではそうは感じなかったのですが「外国人問題」というのがテーマの一つに上がっていたようです。侃々諤々この問題について話すある党首や、それについてのネットの反応など、昨晩幕洗いでムネアツになってる間になんだか刺々しい話がたくさんあったようです。
外から来る方が持つ、伝統祭りを行う町への敬意。そして大変な練習と本番を務めてくれた方々へ地元民が持つ感謝の気持ち。政治と祭りはもちろん違いますが、基本的に人間同士が持つ気持ちに「感謝」や「敬意」があればそんなに難しいことにはならないのになぁ、と思うのです。
人口減少が叫ばれる臼杵市、ひいては日本。全く関係のないところから移住してくる方がいても、お互いを思いやり、お祭りのように気持ちよく繋がっていけばよいなぁと思わずにはいられません。
最後に祇園祭に戻りますが、あらゆる形で参加・サポートされた全ての皆さま、今年の夏もありがとうございました。毎年このお祭りを見ることができて幸せです。昭和の物凄かった観客数がなるべく戻ってくるように、私も微力ながらいろいろと発信していきたいと思います。

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