明けましておめでとうございます。
皆さま楽しい年末年始を過ごされたでしょうか?
臼杵市では各料理屋さんのお節やオードブルが軒並み早めに売り切れになっていたことからも予想できましたが、本当にたくさんの方が帰省されていたようです。
私は実家のレストランの年越しオードブルを手伝い、年明けは2日から整体・雑貨販売共に営業をスタートしたので、実質元旦しか休みがない怒涛の年越しとなりました。
その唯一の休みだった元旦、5歳の姪っ子とお散歩がてら臼杵の八町界隈の空き物件をチェックしてみることに。
どんな場所にどんな物件が空いているのか?八町それぞれの町の特徴と共に、そこにある空き物件を4町ずつ、2回に分けて見ていきたいと思います。1回目の今回は唐人町、新町、掛町、浜町。移住の下見に来られる方はぜひ参考に!
元は問屋街だった「唐人町」
唐人町は地図で見ると大体赤色の道に沿った部分となります↓
余談ですが、「大体」というのは地元の人間でも各町の境界線は難解中の難解で、例えば私の実家のレストランは、正式には元々半分が新町、もう半分は唐人町なのです。多分このことは隣接する方しか知らないと思います。
話は町の特徴に戻ります。このブログでも何度か書きましたが、唐人町の裏手には昭和39年(1964年)まで堀川がありました。1608年にその工事が始まり360年余り存在した運河には物資運搬船が多く出入りしました。当然ながら運河に沿った唐人町は問屋街となったそうです。
お米屋さん、木材置き場、味噌醤油屋さんの風景が私の子供時代の記憶にも残っています。今は少し寂しい通りになりましたが、やはり飲食店の多い商いの町であることに変わりありません。ちなみに今なお市民の記憶に残る伝説のおでん屋「のんきや」が創業したのも唐人町でした。
また唐人町のメインストリートは、臼杵の中心地でもある辻エリアから臼杵川の大通りまで貫いていることから、通行車両が多い道でもあります。
まず唐人町で最初に発見した空き物件はかなり大きな建物(地図①)↓
風格のある建物なのは、以前は料理屋さんだった為。見上げると3階建てで、住居兼店舗で売買に出ていると聞いています。
外から見てもかなり大きな物件なので、ゲストハウスなどに使うのもいいかもしれませんね。
次は前述した料理屋さんの斜め前のスナックビル(地図②)↓
今回、このビルの撮影をしているときに段差に気づかず派手にコケて足を軽く捻挫。アラフィフは走らなくても色々な動作がもう危険なのです。
「痛い!Hちゃん、助けて!姉ちゃんもうダメ!」
と5歳の姪に助けを求め這う這うの体で撤退したため建物の詳細はチェックできませんでしたが、以前見たときはこのビルに「でぶりん」と「ぶす」という2店のスナックが入っていました。テナント募集の看板が写真のように設置されていたので、インパクト大の店名と共に入居していただきたいと思います。
最後は唐人町のメインストリート沿いにある元かき氷屋の物件(自販機のある建物で地図③)↓
「仲松のかき氷」といえば、臼杵の第二次ベビーブーム世代には忘れられない名店でしたが、現在は「売物件」の看板が出ています。
この物件の特徴は目の前に市営駐車場がある、という点。30分は駐車料金が無料なので、パン屋さんや雑貨屋さんなど、小売り系では抜群の立地だと思います。
堀川の土で作られた「新町」
唐人町の裏手に堀川を作った時に出た土砂を埋め立てに使い誕生した新町。辻エリアにある大分信用金庫とカボスソフトクリームの大きな看板の建物の間の道がメインストリートです。
私の子供時代はスーパー(マルショクや主婦センター)、鯨肉屋(!)、八百屋、靴屋、ブティック、銭湯などいろいろなお店があって賑わった町でした。現在でも花屋さん、酒屋さん、パン屋さんに加え、ビジネスホテルや飲食店などもあり、商売にいい立地であることに変わりありません。
散歩してみたところ3階建てくらいのビル数軒がありテナントを募集していましたが、いずれもスナック系。1軒はオフィス物件に適したようなものもありました。
売物件の看板は残念ながら見当たりませんでした。しかし「これどう見ても空き家だよね」という物件は数件あったので、この界隈で不動産を持ちたい方は現地で大家さんを探してみてもいいかもしれません。
今こそ穴場!?旧乾物問屋街「掛町」
もしかしたら私の子供時代と比較しても一番寂しくなったのが掛町かもしれません。
地図に書き込みましたが、ここには昔魚市場があり、私の子供時代にはもう魚市場は現在の場所に移転されていましたが、その名残で乾物問屋が掛町にはたくさんありました。
臼杵市で有名な料亭「喜楽庵」の発祥が掛町で、今でも「山庵」「みつご」「にしきや」といったふぐ料理屋が並びます。昭和時代にはこれらふぐ料理屋で食べた後に立ち寄るスナックも数多くあり、毎週末酔っ払いで溢れかえっていました。
子供ながらに「日が暮れたら近寄ってはならぬ町」というイメージがあったのもこの掛町。しかし時は流れ、今は驚くことに自身がこの町で整体や雑貨販売を行い、夜はスヤスヤ安眠しています。
臼杵にはなかなか店舗兼住居の物件がないのですが、散歩してみると近所に貸家看板が出ていました(地図④)↓
この物件は大通りに近い立地で、近隣に月極駐車場が数多くあるのが特徴です。
町八町で駐車場を確保するのはかなり大変なのですが、この周辺だと少し中心部から離れていることもあり、価格・数共に確保しやすいと思います。
昔は派手だった掛町も今では静かなエリア。今だからこそ穴場かも。
「うぉんたな」の浜町は飲食店向き
臼杵の江戸時代の「うぉんたな=魚の棚」(魚介類で商いを行うエリアのこと)は浜町でした。東京にも支店がある料亭「山田屋」は、浜町が発祥となります。
現在でも「割烹 佐藤屋」や、作家・野上弥生子の生家である小手川酒造の建物が並び、町並み観光客が多いエリアでもあるのです。
この町にある売り物件は現在臼杵市の「空き店舗バンク」にも掲載されています(地図⑤)↓
現時点で営業中の料理屋さんなので、居抜き物件として活用したい飲食店向きかもしれません。
臼杵の町八町は江戸時代からの町割りがそのまま残る珍しい町で、しかも昔の呼び名をほぼそのまま使用しています。イマドキ行政区表示の町などあまり残っていないのですが、臼杵の町八町では掛町〇組などで未だ郵便配達も行われます。
行政区表示だからこそ残るその町の歴史や特徴。この町の一員となると自動的に祇園祭にも参加できますし、楽しいことも盛りだくさん。
移住の下見の際は町八町の見学もどうぞお忘れなく!
残りの4町の空き物件レポートは1月中のどこかで行います。
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